坊っちゃん:夏目漱石・三~四

 坊っちゃん:夏目漱石・三~四

現代語訳:𝑅𝑒𝓁𝒶𝓍 𝒮𝓉𝑜𝓇𝒾𝑒𝓈𝒯𝒱



ついに学校に出勤した。初めて教室に入り、高い位置に立ったとき、何とも言えない感覚が広がった。授業をしながら、自分でも教師としてやっていけるのかと考えた。生徒たちは騒がしく、時折、突然大きな声で「先生」と呼ぶ。私はその呼びかけに応じた。これまで学校で毎日「先生、先生」と呼ばれていたが、実際に呼ばれるのと呼ぶのは全く違う体験だ。何となく足の裏がくすぐるような気がした。


私は卑怯な人間ではないし、臆病でもない。しかし、残念ながら勇気が足りなかった。生徒たちが「先生」と大きな声で呼ぶと、お腹が空いたときに聞く、丸の内の正午の砲声のように感じた。最初の一時間は何となく適当にやってしまったが、特に困るような質問をされずに済んだ。休憩室に戻ると、山嵐がどうだったかと聞いてきた。私はうんと簡単に返事をしたが、山嵐は安心した様子だった。


二時間目にチョークを持って休憩室を出たとき、何となく敵地に乗り込むような気がした。教室に出ると、今度のクラスは前よりも大きな生徒ばかりだ。私は都会育ちで華奢で小柄だから、高い位置に立っても圧力を感じない。喧嘩なら相撲取りでもやってみせるが、こんな大男を四十人も前に並べて、ただ一枚の舌を動かして恐縮させる手際はない。


しかし、田舎者に弱みを見せるとクセになると思い、大きな声を出して少々早口で授業を進めた。最初のうちは生徒も混乱してぼんやりしていたので、それを見てますます得意になり、大胆な調子で進めた。すると、一番前の列の真ん中にいた、一番強そうな生徒が突然立ち上がり、「先生」と呼んだ。そこで来たと思いながら、何だと聞くと、「あまり早くて分からないので、もう少しゆっくりやってくれませんか」と言った。くれませんかは優しい言葉だ。


早すぎるなら、ゆっくり言ってやるが、私は都会育ちだから君たちの言葉は使えない。分からなければ、分かるまで待っているべきだと答えた。この調子で二時間目は思ったよりうまくいった。しかし、帰り際に生徒の一人が「ちょっとこの問題を解説してくれませんか」と難しい幾何学の問題を持って迫ってきたときには、冷や汗を流した。仕方がなく、わからないと言い、次回教えてあげると急いで退散したところ、生徒がわあと騒ぎ出した。その中に「出来ない出来ない」という声が聞こえる。大したことない、先生だって、出来ないのは当然だ。


出来ないのを出来ないと言うのに不思議があるものか。そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎に来るものかと思いながら休憩室に戻った。今度はどうだったとまた山嵐が聞いた。うんと答えたが、うんだけでは気が済まなかったので、この学校の生徒は理解が難しいなと言ってやった。山嵐は不思議そうな顔をしていた。


三時間目も、四時間目も、昼過ぎの一時間も、だいたい同じだった。最初の日に出たクラスは、どれも少しずつ失敗した。教師は外から見るほど楽な仕事ではないと思った。授業は一通り終わったが、まだ帰れない。三時までぽつんと待たなければならない。三時になると、担当クラスの生徒が自分の教室を掃除して報告に来るので、検査をするのだ。それから出席簿を一応確認してようやく解放される。いくら月給で雇われた身体だって、暇な時間まで学校に縛りつけて机とにらめっこをさせるなんて法があるものか。しかし他の連中はみんな大人しく規則通りにやっているから、新参の私だけが文句を言うのもよろしくないと思って我慢していた。


帰りがけに、「君、何でもかんでも三時過ぎまで学校にいさせるのは愚かだぜ」と山嵐に訴えたら、山嵐は「そうさ、アハハハ」と笑ったが、後から真面目になって、「君、あまり学校の不満を言うと、いけないよ。言うなら僕だけに話せ、結構変な人もいるからな」と忠告めいたことを言った。交差点で別れたため、詳しいことは聞く暇がなかった。


それから家に帰ると、宿の主人が「お茶を入れましょう」と言ってやって来た。お茶を入れると言うからご馳走をするのかと思うと、私の茶を遠慮なく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中も勝手に「お茶を入れましょう」を一人で実行しているかもしれない。主人が言うには、自分は書画骨董が好きで、とうとうこんな商売を内々で始めるようになった。あなたも見たところ、かなり風流でいらっしゃるらしい。


ちょっと趣味に始めてみてはいかがですかと、飛んでもない勧誘をする。二年前、ある人の使いで帝国ホテルに行ったときは、錠前直しと間違えられたことがある。帽子をかぶり、鎌倉の大仏を見物したときは、車屋から親方と呼ばれた。その他、今日まで見落とされたことはたくさんあるが、まだ私を見て「かなり風流でいらっしゃる」と言った者はいない。大抵は見た目や様子でも分かる。風流人なんていうものは、絵を見ても、頭巾をかぶるか短冊を持っているものだ。私を風流人だなどと真面目に言うのはただの変わり者だ。


私はそんなのんびりとした隠居のやるようなことは嫌いだと言ったら、主人は「へへへへ」と笑いながら、「いえ、始めから好きなものは、どなたもございませんが、一度この道に入るとなかなか出られません」と一人で茶を注いで奇妙な手つきをして飲んでいる。実は昨夜、茶を買ってくれと頼んでおいたのだが、こんな苦くて濃い茶は嫌だ。一杯飲むと胃に響くような気がする。次回からもっと苦くないのを買ってくれと言ったら、「かしこまりました」とまた一杯注いで飲んだ。人の茶だと思って無遠慮に飲む奴だ。主人が引き下がってから、明日の予習をして、すぐに寝てしまった。




それから、毎日学校へ出ては規則通りに働き、帰ってくると宿の主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ほど経つと、学校の様子もだいたい把握できたし、宿の夫婦の人物も大体分かった。他の教師に聞いてみると、辞令を受けてから一週間から一ヶ月の間は、自分の評判がどうなるか非常に気になるそうだが、私は全くそんな感じはなかった。教室で時々失敗すると、その時だけは気分が悪いが、30分ほど経つとすっかり忘れてしまう。私は何事によらず、長く心配しようと思っても心配ができない男だ。教室の失敗が生徒にどんな影響を与え、その影響が校長や教頭にどんな反応を示すか、全く無関心だった。前に言った通り、私はあまり度胸の据わった男ではないが、思い切りはすごくいい人間だ。この学校がダメなら、すぐにでもどこかへ行く覚悟でいたから、狸も赤シャツも全く怖くはなかった。


まして教室のガキ共には、愛嬌もお世辞も使う気になれなかった。学校はそれで良いのだが、下宿の方はそうはいかなかった。主人が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろなものを持ってくる。最初に持って来たのは印材で、10個ばかり並べておいて、みんなで「3円なら安いものだ、お買いなさい」と言う。田舎巡りの下手な絵師じゃないし、そんなものは要らないと言ったら、今度は華山とか何とか言う男の花鳥の掛け物を持って来た。


自分で床の間にかけて、「いい出来じゃありませんか」と言うから、そうかなと適当に挨拶をすると、華山には二人いる、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、この幅はその何とか華山の方だと、くだらない説明をした後で、「どうです、あなたなら15円にしておきます。お買いなさい」と催促をする。金がないと断ると、「金なんか、いつでもいいですよ」と頑固だ。


金があっても買わないんだと、その時は追い払ってしまった。その次には、鬼瓦ぐらいの大硯を運び込んだ。「これは端渓です、端渓です」と二回も三回も言うので、面白半分に端渓って何だいと聞くと、すぐに説明を始めた。端渓には上層、中層、下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これは確かに中層です。この眼をご覧なさい。眼が三つあるのは珍しい。溌墨の具合も非常に良いので、試してみてくださいと、私の前へ大きな硯を突きつける。いくらだと聞くと、持ち主が中国から持って帰って来て、是非売りたいと言いますから、お安くして30円にしておきましょうと言う。この男はバカに違いない。学校の方はどうにかこうにか無事に勤まりそうだが、こう骨董責めに遭っては、長く続きそうにない。


そのうち、学校も嫌になった。ある日の夜、大街という場所を散歩していたら、郵便局の隣に「蕎麦」と書かれ、下に「東京」と注釈が付けられた看板があった。私は蕎麦が大好きだ。東京にいた時でも、蕎麦屋の前を通り、薬味の香りを嗅ぐと、どうしても暖簾をくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りできなくなる。ついでだから一杯食べて行こうと思って店に入った。見ると、看板ほどでもない。


東京と明記する以上は、もう少し綺麗にするものだと思ったが、東京を知らないのか、お金がないのか、とにかく汚い。畳は色が変わっておまけに砂でざらざらしている。壁は煤で真っ黒だ。天井はランプの煤煙で煤けているだけでなく、低くて、思わず首を縮めるくらいだ。ただ美しく蕎麦の名前を書いて貼り付けた値段表だけは、全く新しい。値段表の一番上に天ぷらとある。「おい、天ぷらを持ってこい」と大きな声を出した。すると、この時まで隅の方に三人固まって何かつるつる、ちゅうちゅう食べていた連中が、一斉に私の方を見た。部屋が暗いので、ちょっと気がつかなかったが、顔を合わせると、みんな学校の生徒だった。向こうで挨拶をしたから、私も挨拶を返した。その晩は久しぶりに蕎麦を食べたので、美味しかったから天ぷらを四杯平らげた。



次の日、何気なく教室に入ると、黒板に大きな字で「天ぷら先生」と書かれていた。私の顔を見ると、みんなが笑い出した。「天ぷらを食べるのがそんなにおかしいのか?」と私は尋ねると、生徒たちは一人ひとり、「でも、4杯は多すぎるよね」と口を揃えた。


4杯食べようが5杯食べようが、私のお金で私が食べることに何の問題があるのか。さっさと授業を終えて休憩室に戻った。10分後、次の教室に出ると、「天ぷら4杯。ただし、笑ってはいけません」と黒板に書かれていた。


さっきは特に怒ることもなかったのだが、今度はイライラした。冗談も度を超えれば悪戯だ。焼き餅のように焦げたものは、誰も賞賛するような代物ではない。田舎者はこのニュアンスが分からないから、どこまで突っ込んでも大丈夫だという考えなのだろう。


1時間歩いても見るものがないような狭い街に住んで、外に何の特技もないから、天ぷら事件を日露戦争のように大げさに取り扱うのだ。哀れな奴らだ。子供の頃から、こんな風に教育されるから、ひねくれた鉢植えの楓のような小人が出来上がるんだ。無邪気なら一緒に笑ってもいいのだが、これは何だ。


子供なのに毒気を持っている。私は黙って天ぷらの文字を消し、「こんないたずらが面白いのか、卑怯な冗談だ。君たちは卑怯という意味を知っているのか」と尋ねたら、「自分がしたことを笑われて怒るのが卑怯じゃないのか」と答えた奴がいた。嫌な奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思うと、情けなくなった。


余計なことを言わずに勉強しろと言って、授業を始めた。それから次の教室に出たら、「天ぷらを食べると口答えがしたくなるものだ」と書かれていた。どうにも手に負えない。この状況にはどうにも手に負えない。あまりにも腹が立ったので、「そんな生意気な奴は教えない」と言って帰ってきた。生徒たちは休みになって喜んだそうだ。こうなると、学校よりも骨董の方がまだマシだ。


天ぷらそばを食べて家に帰り、一晩寝たら、そんなにイライラしなくなった。学校に行ってみると、生徒たちも出てきていた。何だか理解できない。それから3日間は何もなかったが、4日目の夜に住田という場所に行って団子を食べた。


この住田という場所は、温泉のある街で、城下から電車で10分ほど、歩いて30分で行ける。レストランや温泉旅館、公園もあり、遊郭もある。私が入った団子屋は遊郭の入口にあり、とても美味しいと評判だったから、温泉に行った帰りにちょっと食べてみた。


今回は生徒に会わなかったから、誰も知らないだろうと思って、翌日学校に行くと、1時間目の教室に入ると「団子2皿7円」と書かれていた。実際、私は2皿食べて7円払った。どうも面倒な奴らだ。


2時間目にもきっと何かあると思うと、「遊郭の団子、美味しい美味しい」と書かれていた。呆れ返った奴らだ。団子がそれで済んだと思ったら、今度は「赤手ぬぐい」というのが評判になった。何のことだと思ったら、つまらない経緯だった。


私はここに来てから、毎日住田の温泉に行くことに決めている。他の場所は何を見ても東京には及ばないが、温泉だけは立派なものだ。せっかく来たから毎日入ろうと思って、夕飯前に運動がてら出かける。でも行くときは必ず大きな西洋のハンカチをぶら下げて行く。


このハンカチが湯に染まった上で、赤い縞が流れ出てきたので、ちょっと見ると紅色に見える。私はこのハンカチを行きも帰りも、電車に乗っても歩いても、常にぶら下げている。それで生徒たちは私のことを「赤手ぬぐい」と呼んでいるんだそうだ。どうも狭い土地に住んでいると、面倒なものだ。


まだある。温泉は3階建ての新築で、上等な浴衣を貸してくれて、シャワーをつけて8円で済む。その上に女性がお茶を持ってきてくれる。


いつでも最高級のお風呂に入っていた。すると、40円の月給で毎日最高級のお風呂に入るのは贅沢だと言い出した。余計なお世話だ。お風呂は花崗岩を積み上げて、15畳ほどの広さに区切ってある。大体は13、4人が浸かっているが、たまには誰もいないことがある。


深さは立って胸の辺りまであるから、運動のために、お湯の中を泳ぐのはなかなか楽しい。私は人がいないのを確認してから、15畳のお風呂を泳ぎ回って楽しんでいた。しかし、ある日3階から元気よく降りてきて、今日も泳げるかなと思って覗いてみると、大きな札に黒々と「湯の中で泳ぐべからず」と書かれ貼り付けてあった。


湯の中で泳ぐものは、そんなに多くないから、この札は私のために特別に新しく作ったのかもしれない。私はそれから泳ぐのを断念した。泳ぐのを断念したが、学校に行ってみると、例の通り黒板に「湯の中で泳ぐべからず」と書かれていて驚いた。


何だか生徒全体が私一人を探偵のように見ているように思えた。うんざりした。生徒が何を言おうと、やろうと思ったことをやめるような私ではないが、何でこんな窮屈な場所に来たのかと思うと、情けなくなった。それで家に帰ると、相変わらず骨董品の責任があった。



四、

学校には宿直があり、教職員が交代でその役を担っている。ただし、狸と赤シャツは例外である。なぜこの二人が当然の義務を免れるのかと尋ねてみたら、奏任待遇だからだという。面白くもない。月給はたくさんもらい、時間は少なく、それで宿直を逃れるなんて不公平があるものか。勝手に規則を作り、それが当然だとする態度が、理解できない。よくまああんなに厚かましくできるものだ。これについては大いに不平であるが、山嵐の説によると、いくら一人ひとりで不平を並べたって通るものじゃないそうだ。一人だって二人だって、正しいことなら通るはずだ。山嵐は "might is right" という英語を引用して説明を加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利という意味だそうだ。


強者の権利ぐらいなら昔から知っている。今さら山嵐から講釈を聞かなくてもいい。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、誰が認めるものか。議論は議論として、この宿直がとうとう私の番に回ってきた。基本的に神経質だから、寝具などは自分のものでないと寝た気がしない。子供の頃から、友達の家に泊まったことはほとんどないくらいだ。友達の家でさえ嫌なら、学校の宿直はなおさら嫌だ。嫌だけど、これが40円の中に含まれているなら仕方がない。我慢して務めてやろう。


教師も生徒も帰ってしまった後、一人ぼっちでいるのは随分と寂しいものだ。宿直部屋は教室の裏手にある寮の西端に位置している。ちょっと入ってみたが、西日をまともに受けて、苦しくて居られない。田舎だけあって、秋が来ても長い間暑いものだ。生徒の食事を取り寄せて夕飯を済ませたが、その味のまずさには驚いた。よくあんなものを食べて、あれだけ暴れられるものだ。それで夕飯を急いで4時半に片付けてしまうんだから、豪傑に違いない。飯は食ったが、まだ日が暮れないから寝るわけにはいかない。ふと温泉に行きたくなった。


宿直をしながら外に出るのが良いことか悪いことかは分からないが、こうしてじっとしていると、重禁錮のような苦しみに耐えられない。初めて学校に来た時、当直の人はどこにいるのかと聞いたら、ちょっと用事で出ていったと用務員が答えたのを不思議に思ったが、自分に番が回ってきてみると納得する。出る方が正しいのだ。私は用務員にちょっと出てくると言ったら、何かご用ですかと聞かれたから、用じゃない、温泉に入るんだと答えて、さっさと出かけた。赤手ぬぐいは家に忘れてきたのが残念だが、今日は先方で借りるとしよう。


それからかなりゆるりと出たり入ったりして、ようやく日が暮れかけた頃、電車に乗って古街の停車場まで来て降りた。学校まではここから4丁だ。何もないと歩き出すと、向こうから狸が来た。狸はこれからこの電車で温泉に行こうという計画なのだろう。すたすたと急いで歩いてきたが、すれ違った時に私の顔を見たから、ちょっと挨拶をした。すると狸は「あなたは今日は宿直ではなかったですかね」と真面目に聞いた。


なかったですかねもないものだ。2時間前に私に向かって「今夜は初めての宿直ですね。ご苦労さま」と礼を言ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲がった言葉を使うものだ。私は腹が立ったから、「ええ、宿直です。宿直ですから、これから帰って泊まることは確かに泊まります」と言い捨てて、済まして歩き出した。竪街の四つ角まで来ると今度は山嵐に出くわした。どうも狭い場所だ。出て歩いていれば必ず誰かに会う。「おい、君は宿直じゃないか」と聞くから、「うん、宿直だ」と答えたら、「宿直が無闇に出て歩くなんて、不都合じゃないか」と言った。「ちっとも不都合なもんか、出て歩かない方が不都合だ」と威張ってみせた。


「君のずぼらにも困るな、校長か教頭に出会うと面倒だぜ」と山嵐に似合わないことを言うから、「校長にはたった今会った。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でしょうと校長が、私の散歩を褒めたよ」と言って、面倒くさいから、さっさと学校へ帰ってきた。



それから日はすぐに暮れる。くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、それも飽きたから、寝られないまでも床へはいろうと思って、寝巻に着換えて、蚊帳を捲まくり、赤い毛布を跳ねのけて、とんと尻持ちを突いて仰向けになった。


おれが寝るときにとんと尻持ちをつくのは、小供の時からの癖だ。わるい癖だと云って、小川街の下宿に居た時分、二階下に居た法律学校の生徒が苦情を持ち込んだことがある。法律の生徒なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、愚な事を長たらしく述べ立てるから、寝る時にどんどん音がするのはおれの尻がわるいのじゃない。下宿の建物が粗末なんだ。掛け合うなら下宿へ掛け合えと凹ましてやった。この宿直部屋は二階じゃないから、いくらどしんと倒れても構わない。なるべく勢いよく倒れないと、寝たような心持ちがしない。


ああ愉快だと思い、足を思い切り延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざらざらして蚤のようでもないから、こいつに驚いて、足を二三度毛布の中で振ってみた。すると、ざらざらと当ったものが、急に殖え出して、脛が五六カ所、股が二三カ所、尻の下でぐちゃりと踏み潰したのが一つ、臍の所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚いた。


早速起き上がって、毛布をぱっと後ろへ抛ると、蒲団の中からバッタが五六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味が悪かったが、バッタと相場が極まってみたら、急に腹が立った。バッタのくせに人を驚かせやがって、どうするつもりだと、いきなり枕を取って、二三度擲きつけたが、相手が小さ過ぎるから、勢よく投げつける割に利目がない。


仕方がないから、また布団の上に座って、煤掃きの時に蓙を丸めて畳を叩くように、そこら近辺を無暗にたたいた。バッタが驚いた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの肩だの、頭だの、鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする。顔に付いたやつは枕で叩く訳に行かないから、手で攫んで、一生懸命に擲きつける。


忌々しい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで、少しも手答がない。バッタは投げつけられたまま蚊帳に引っかかっている。死にもどうもしない。ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退治した。箒を持って来てバッタの死骸を掃き出した。


小使が来て「何ですか」と云うから、「何ですかもあるもんか、バッタを床の中に飼っとく奴がどこの国にある。間抜けめ」と叱ったら、「私は存じません」と弁解をした。存じませんで済むかと箒を椽側へ抛り出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。


俺はすぐに寮生の代表を三人呼び出した。すると六人が出てきた。六人だろうが十人だろうが構わない。パジャマのままで議論を始めた。「なぜバッタを私のベッドの中に入れたんだ?」


「バッタって何ですか?」と一番最初の一人が言った。彼はとても落ち着いている。この学校では校長だけでなく、生徒も回りくどい言葉を使うんだ。


「バッタを知らないのか?知らなければ見せてやる」と言ったが、残念ながら掃き出してしまって一匹もいない。また、用務員を呼んで、「さっきのバッタを持ってきて」と言ったら、「もう掃き溜めに捨ててしまいましたが、拾ってきましょうか?」と聞いた。


「うん、すぐに拾ってきてくれ」と言うと、用務員は急いで走り出したが、やがて半紙の上に十匹ほど乗せてきて、「申し訳ありませんが、夜なのでこれだけしか見つけられませんでした。明日になったらもっと拾ってきます」と言った。用務員まで馬鹿だ。


私はバッタの一つを生徒に見せて「これがバッタだ。大きな体をして、バッタを知らないのか?何のことだ?」と言うと、一番左にいた顔の丸い奴が「それは、イナゴですよ」と生意気に私をやり込めた。


「お前、イナゴもバッタも同じだ。何で先生を困らせるんだ。なめしは田楽の時以外では食べない」と反論したら、「なめしと菜飯は違いますよ」と言った。いつまで経ってもなめしを使う奴だ。


「イナゴでもバッタでも、なぜ私のベッドの中に入れたんだ。私がいつ、バッタを入れてくれと頼んだ?」


「誰も入れてませんよ」


「入れないものが、どうしてベッドの中にいるんだ」


「イナゴは暖かいところが好きなので、たぶん一人で入ったんじゃないですか」


「馬鹿なことを言うな。バッタが一人で入るなんて――バッタに入られてたまるか。――さあ、なぜこんないたずらをしたのか、言え」


「言ってますよ、入れないものを説明するのは無理ですよ」ケチな奴らだ。自分で自分のしたことが言えないくらいなら、最初からしない方がいい。


証拠が出なければ、知らないふりをするつもりで堂々としている。私だって中学生の時は少しはいたずらもしたものだ。しかし、誰がしたと聞かれた時に尻込みをするような卑怯なことは一度もなかった。


したものはしたので、しないものはしないと決めている。私なんかは、いくらいたずらをしたって清廉なものだ。嘘をついて罰を逃れるくらいなら、最初からいたずらなんかしない。いたずらと罰はセットだ。罰があるからいたずらも楽しくできる。いたずらだけで罰は免れたいなんて下劣な考えがどこの国で流行ると思ってるんだ。


金は借りるが、返すことは免れたいと言う連中はみんな、こんな奴らが卒業して仕事に就くのは間違いない。一体中学校には何をしに入っているんだ。学校に入って、嘘をついて、ごまかして、陰でこそこそ生意気な悪いいたずらをして、それで堂々と卒業すれば教育を受けたと思い違いをしている。話せない雑兵だ。



私は、こんなに頭の固い奴らと議論するのは気分が悪いから、「そんなに言われなくても、聞かなくていい。中学に入って、上品と下品の区別がつかないのは気の毒だ」と言って、6人を追い出した。


私の言葉や態度はあまり上品ではないかもしれないが、心は彼らよりずっと上品だと思っている。6人はゆったりと立ち去った。見た目だけで判断すれば、教師である私よりもずっと立派に見えてしまう。実際はただ落ち着いているだけで、私にはとてもそんな度胸はない。


それから再びベッドに入って横になると、さっきの騒ぎで蚊帳の中はブンブンと鳴り響いている。ろうそくをつけて一匹ずつ焼くなんて面倒なことはできないので、蚊帳の紐を外し、長く折りたたんで部屋の中で十文字に振ったら、蚊が飛んで手の甲をひどく打った。


三度目にベッドに入ったときは少し落ち着いたが、なかなか寝られない。時計を見ると10時半だ。考えてみると厄介なところに来たものだ。一体、中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだ。


よく先生が品切れにならないものだ。よっぽど我慢強い堅実な人がなるんだろう。私には到底やりきれない。それを思うと、清さんなんてのはすごいものだ。教育も身分もないおばあさんだが、人間としてはとても尊い。


今まではあんなに世話になって特に感謝もしていなかったが、こうして一人で遠い国に来てみると、初めてその親切がわかる。越後の笹飴が食べたければ、わざわざ越後まで買いに行って食べさせても、食べさせるだけの価値は十分ある。


清さんは私のことを欲がなくて、真っ直ぐな性格だと言って褒めるが、褒められる私よりも、褒める本人の方が立派な人間だ。何だか清さんに会いたくなった。


清さんのことを考えながらぼんやりしていると、突然、私の頭の上で、数えたら三四十人もいるだろう、二階が崩れ落ちるほどどん、どん、どんとリズムを取って床板を踏み鳴らす音が響いた。


すると、足音に合わせて大きな戦闘の声が起こった。私は何事が起こったのかと驚いて飛び起きた。飛び起きると同時に、ああ、さっきの仕返しに生徒たちが暴れているのだと気づいた。


自分のした悪いことは、認めない限りは罪として残るものだ。悪いことは、自分たちに覚えがあるだろう。本来なら寝てから後悔して、明日の朝でも謝りに来るのが筋だ。たとえ、謝らないまでも恐縮して、静かに寝ているべきだ。それなのに、何だこの騒ぎは。


寮を建てて豚でも飼っておけばいい。気が狂ったような真似も程々にするべきだ。どうするつもりか見ていろと思いながら、パジャマのまま宿直部屋を飛び出し、階段を三つ飛ばしで二階まで駆け上がった。


すると、不思議なことに、今まで頭の上で確かにどたばたと暴れていたのが、急に静まり返り、人の声どころか足音もしなくなった。これは奇妙だ。ランプはすでに消してあるから、暗くてどこに何があるかはっきり分からないが、人の気配があるとないとは様子でも分かる。


長く東から西へ通った廊下にはネズミ一匹も隠れていない。廊下の端から月が差し込み、遥か向こうがぼんやりと明るい。どうも変だ。私は子供の頃から、よく夢を見る癖があって、夢中に飛び起きて意味不明な寝言を言い、人に笑われたことがよくある。


十六七の時、ダイヤモンドを拾った夢を見た夜などは、ひょいと立ち上がり、そばにいた兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢いで尋ねたくらいだ。その時は三日ばかり家中の笑いものになって大いに恥ずかしかった。


ことによると、今のも夢かもしれない。しかし、確かに暴れたに違いないと、廊下の真ん中で考え込んでいると、月の差している向こうの端で、一二三わあと、三四十人の声がまとまって響いたかと思う間もなく、前のようにリズムを取って、一同が床板を踏み鳴らした。




見てみろ、夢じゃない、やっぱり現実だ。


静かにしろ、真夜中だぞ、と私も負けじと大声を出して、廊下を向こうへ走り出した。


私の通る道は暗く、ただ端に見える月明かりが唯一の目印だ。


走り出して二間も進むと、廊下の真ん中で固い大きなものに足をぶつけて、ああ、痛いと頭が響く間に、体は前へ投げ出された。


この野郎を起き上がらせてみたが、走れない。


気はせくが、足だけは言うことを聞かない。


イライラするから、片足で飛んで来たら、もう足音も人の声も静まり返ってしまった。


どんなに人間が卑怯でも、こんなに卑怯になれるものじゃない。まるで豚だ。


こうなれば隠れている奴を引きずり出して謝らせるまで引き下がらないぞと心を決めて、寝室の一つを開けて中を調べようと思ったが、開かない。


鍵をかけてあるのか、机か何かを積んで立てかけてあるのか、押しても押しても絶対に開かない。


今度は向かい合わせの北側の部屋を試みたが、開かないことはやっぱり同じだ。


ドアを開けて中にいる奴を捕まえようと焦っていると、また東の端で戦闘の声と足音が始まった。


この野郎、申し合わせて東西を行き来して私を馬鹿にするつもりだな、とは思ったが、さてどうしていいか分からない。


正直に言うと、私は勇気があるものの、知恵が足りないのだ。


こんな時、どうすれば良いのか全く分からない。


分からないけれども、絶対に負けるつもりはない。


このままでは私の顔に泥を塗る。江戸っ子は意地がないと言われるのは残念だ。


宿直をして鼻たれ小僧にからかわれて、手の打ちようがなくて、仕方がないから泣き寝入りしたと思われたら一生の恥だ。


これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田の満仲の後裔だ。


こんな田舎者とは生まれからして違う。知恵がないところが惜しいだけだ。


どうしていいか分からないのが困るだけだが、困ったって負けるものか。


正直だから、どうしていいか分からないのだ。世の中に正直が勝たないで、他に勝つものがあるか、考えてみろ。


今夜中に勝てなければ、明日勝つ。明日勝てなければ、明後日勝つ。


明後日勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここにいる。


私はこう決心をしたから、廊下の真ん中で正座して夜が明けるのを待っていた。


蚊がブンブン飛んできたけれど、何ともなかった。


さっきぶつけた足を触ってみると、何だかぬるぬるする。血が出ているんだろう。


血なんか出たって、勝手に出ていていい。そのうち最初からの疲れが出て、ついウトウトと寝てしまった。


何だか騒がしいので、目が覚めた時は「えっ、しまった」と飛び起きた。


私が座っていた右側のドアが半分開いて、生徒が二人、私の前に立っている。


正気に戻って、はっと思うと同時に、私の鼻の先にある生徒の足を引っ掴んで、力任せにぐいと引いたら、その生徒はどたりと仰向けに倒れた。


ざまを見ろ。残る一人がちょっと動揺したところを、飛びかかって肩を抑えて二三度突き回したら、驚いて目をパチパチさせた。


さあ、私の部屋まで来いと引っ張ると、弱虫だと見えて、一も二もなくついて来た。


夜はとうに明けている。


私が宿直部屋に連れてきた奴を詰問し始めると、豚は、打っても投げても豚だから、ただ知らんがなで、どこまでも通す様子で決して白状しない。


そのうち一人、二人、だんだん二階から宿直部屋へ集まってくる。


見ると、みんな眠そうに瞼を下げている。けちな奴らだ。


一晩ぐらい寝ないで、そんな顔をして男と言われるか。顔でも洗って議論に来いと言ってやったが、誰も顔を洗いに行かない。


私は五十人ほどを相手に約一時間ほど押し問答をしていると、ひょっこり校長がやって来た。


後から聞いたら、用務員が学校に騒動があると、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。


これほどのことに校長を呼ぶなんて、意気地がなさすぎる。それだから中学校の用務員なんて仕事をしているんだ。


校長は一通り私の説明を聞いた。生徒の言葉も少し聞いた。


追って処分するまでは、今まで通り学校へ出ろ。


早く顔を洗って、朝食を食べないと時間に間に合わないから、早くしろと言って寮生をみんな解放した。


手ぬるいことだ。私なら即座に寮生を全員退学させてしまう。


こんなに余裕があるから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。


その上私に向かって「あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日は授業に及ばないでしょう」と言うから、私はこう答えた。


「いえ、全然心配じゃありません。こんなことが毎晩あっても、命のある限り心配にはなりません。


授業はやります。一晩ぐらい寝なくても、授業ができないくらいなら、もらった給料を学校の方へ返します。」


校長は何と思ったのか、しばらく私の顔を見つめていたが、しかし「顔が大分腫れていますよ」と注意した。


なるほど、何だか少し重たい気がする。その上、顔全体が痒い。


蚊がたくさん刺したに違いない。私は顔中をゴリゴリと掻きながら、「顔はいくら腫れていても、口はちゃんときけますから、授業には差し支えありません」と答えた。


校長は笑いながら「大分元気ですね」と褒めた。本当に言うと、褒めたんじゃなくて、からかったんだろう。


𝑅𝑒𝓁𝒶𝓍 𝒮𝓉𝑜𝓇𝒾𝑒𝓈𝒯𝒱

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続く 5~



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