女の怪異: 田中貢太郎
女の怪異: 田中貢太郎
現代語訳:Relax Stories TV
この物語、「女の怪異」は、田中貢太郎の怪談・奇談の一つで、主人公が女性の怪異を目撃し、発狂するというストーリーです。この作品は、現実と超自然的な要素が融合した世界観、深い人間の心理描写、そして田中の独特の文体により、読者に新鮮な驚きと興奮を提供します。怪談好きなら楽しんでいただけると思います。ただし、怖い話が苦手な方は注意が必要です。それでも、田中貢太郎の独特の世界観と深い人間洞察を楽しむことができるでしょう。では本編を始めます。
ぼつぼつと点灯した街路灯を見ると、菊江はほっとした。彼女はこの数年の不景気で建物が建たない文化住宅の敷地を近道してきたのだ。
微曇りの空に月が浮かび、虫の音が一面に聞こえていた。「足音」街路には砂利が敷かれていた。菊江はその街路を右へ進んだ。その街路に面した方にも所々に空き地があり、建物が並んでいない上に、もう十時になっているので、郊外の新開街は静かだった。
その街路を右へ半町ほど進むと三叉路になり、左は暗い坂道の街路になり、右は電車の停留場前になる。少しの間だけ人道と車道の区別がある広い街路には、その境界に植えた鈴懸の葉に電灯の光が映っていた。そこには街路の左右に様々な商品が並んでいた。菊江はその商店の一軒でこんにゃくを買いに行くところだった。
父親が会社の用事で仙台方面へ出張しており、母親と小さい弟しかいない家で、母親が胃に故障を起こして痛むのを温めるためにこんにゃくが必要になった。母親は弟を連れて行けと言ったが、病人を一人残しておくこともできないので、市内の会社の事務員として朝晩通っている道だから大丈夫だと出てきたが、不安だった。
十分おきに往来している電車の響きと発車を知らせる笛の音が聞こえてきた。広い街路へ曲がって右側の人道を進むと、二人組の若い男が前から街路の真ん中を歩いてきた。二人は酒に酔っているようで、大声で話をしていた。菊江は普段通り、その酔っ払いの声が嫌だった。二人組の男の後ろから二人の少年を連れた女が来た。
菊江は雑貨店の隣の野菜店に入ろうとした時、ふと見ると、その野菜店の向かいにあるカフェの下にも二階にも客がたくさんいるようで、何か話している声に混じって女の声も聞こえていた。菊江はふと、その中にあの人もいるのではないかと思った。
それは同じ会社にいる、そこの電車の向こうにいる若い男だった。菊江はもし、あの人だったら、自分がこんなに遅く一人で用足しに来ていることを知ったら、きっと門口まで送ってくれるだろうと思った。菊江は白い小さな歯をした青年の口元を思い浮かべながら、自分の足がもう野菜店の中に入っていることに驚いて、三個のこんにゃくを買って、それをハンカチに包んで出た。
菊江の目にはすぐにカフェの灯りが見えたが、立って見ているのも気が引けたので、そのまま引き返しながらまたあの青年のことを考えていた。しかし、三叉路に近づくにつれてその考えは薄れてきた。それはまた道が不安になってきたからだった。菊江は後ろを振り返った。菊江は道連れになる人がいないかと思ったのだった。
雑貨店の前に誰か一人立っているようだったが、それはこちらへ来る人のようではなかった。右の方の下り坂の街路の方に靴音が聞こえて、太った労働者のような男がこちらへ向かって来た。まだ麦わらのような夏帽子を被っているその太った男は、街路の真ん中を歩きながらこちらへ目を向けてきた。菊江は急いで違う方向へ行った。
そこはもう三叉路だった。街路から行くと菊江の家は、右の方になったその下り坂の街路から行くのだった。そして、菊江はすぐにこちらから行こうかと思ったが、その道は近道に比べると二町ほども遠かった。それに街路の上ではつまらないものの目にもつきやすいという考えも起きて不安だった。それは草の中の近道と同じような不安だった。
それに微月があって草の中の道も暗くはなかった。どうせ道連れがいないなら道の近い方が良いと思った。菊江はまた近道を行くことにして左の方の明るい街路へ行った。
砂利を敷いた道は思うように歩けなかった。左側の街路に沿った方を低い土手にして庭先を芝生にしてある洋館の横手の方で犬の声がした。そこには髪を切った少女がいて、夕方芝生の上で犬と遊んでいることがあった。菊江は時々会社の帰りに見ているので、その少女と一緒に小さくはあるが鹿のような形をしたその犬の姿をちらっと思い浮かべてみた。菊江は犬の姿から黒い正体のわからない影を描いた。菊江は後ろの方を振り返った。何か怪しい者がつけていないかと思ったがためだった。
そこには何もいないので、菊江は安心した。菊江は近道の草道の入口に向かっていた。子供の背丈ほどもある昼間見るとアカザのような草と、粟粒のような微紅色(びこうしょく)の実をつけた草がぎっしり生えた住宅街の入口に、人の足によって通じた一条の道がうっすらと微月の光に見えていた。
菊江はその道に一歩踏み出してから後ろを振り返った。こちら側の高圧線の電柱と街路照明の草色のペンキで塗った四角い電柱の並んだそばに、人影のようなものがあった。菊江は「おや」と思って見直したが、見直した時にはもう何も見えなかった。
菊江は安心して草の中の道へ入って行った。虫は邪魔するもののない各自の世界に胸を張って歌っていた。土の上面を切り取った赤土の地肌が見えているところでは、草は短くなってそこでは道があちこちに乱れていた。何も気にせず一心になって草の道を追っている菊江の耳に物の気配がした。
菊江は無意識に後ろを振り返った。そこには少し離れて歩いて来る者がいた。菊江は驚いて立ち止まった。背の高い痩せた男の姿が朦朧として現れた。菊江は気分が悪くなったので、急いで足早に歩いた。
一段地所が高くなってところどころ椎の木を植えたところがあった。菊江はそこの斜面の赤土を駆け上がりながら振り返った。背の高い痩せた男の姿はすぐ後ろにいた。道通りなら自分と一緒に駆けるはずがない。菊江の心は震えたが、それでも菊江の心にはどこか余裕があった。道通りから自分を追っている者かどうか試してみればわかると思った。
菊江はすぐに駆け上がった地所を右に切れて、そこの椎の木の下へ向かって振り返った。背の高い痩せた男の姿が自分の駆け上がって来た斜面の端にいた。それはどうしても自分を追っている悪党であった。
菊江は椎の木の前からまた赤土の斜面を滑り降りるように降りて、少し走って振り返った。背の高い痩せた男の姿はまたそこの斜面にいた。間違いなく悪党だった。菊江は大声を上げて助けを求めようとしたが、警察官や巡査が通っていない限り、人家がそれほど遠くないにしても、この深夜にすぐに助けを求めることはできない。
さらに、声を上げたがために餌の近くに近づいた猫を追い払うような結果にならないとも限らないという恐怖があった。菊江は足早に歩きながら、悪党の手から逃れる策を考えた。
そこには瓦を葺いたばかりでそのままになっている建築中の家があった。菊江はその建物の中に隠れるつもりで、そのままその影に入って行った。菊江を追ってきた背の高い痩せた男は、続いて菊江が身を隠した家の下へ行って目をやった。
玄関の土間らしい月の光が朦朧と射した柱に沿って、細面の女が大きな舌、六七寸もあるように思われる大きな長い舌をだらりと垂らして立っていた。背の高い痩せた男は、それを見ると驚いて身を反らせて逃げ出した。
政雄は錠前をそのままにしてある雨戸をガタビシと開けて、何かに追われるように土間へ入り、慌ただしく後ろをビシリと閉めた。そこには商売用の雑貨が並んだ台が左右にあった。政雄はその間の狭い暗い場所を通って急いで見つけた座敷に上がった。そこには老人夫婦の寝ている隣の部屋に点けた電灯がぼんやりした光を投げていた。
政雄はそこの二階の六畳を借りているので、普段ならそのままそこの右側に見えている梯子段を上がって行くのだが、その晩はそのまま上がらずに、
「おばさん、もう寝たの?」
と、落ち着きのない声をかけながら障子を開けた。部屋の中には老人夫婦がこちらの方へ頭を向けて寝ていたが、二人ともまだ眠らずに、老人はうつ伏せになって新聞を読んでいた。
老人はちょっと顔を上げて眼鏡の上から上目で政雄の顔を見た。
「お入り、今しがた、横になったところだ」
政雄はもう後ろを閉めて部屋の中に入り、老人の左側に寝ている老婆の枕元に置かれた長火鉢のそばへ行って座ったが、自分のそばに何かが来ているかのようにキョトキョトと身の周りに目をやった後に、部屋の中をまたキョトキョトと見回した。
「何かあったかね」
政雄の挙動に不審を抱いているように老人が言った。
「な、何もないさ」と、政雄は小さな声で慌てたように言った。
「でも、変だね」
「どんなに変だろう」
「何かあったんじゃないか、また、自動車にでも乗ってて、人でも轢いたのじゃないかね」
政雄は自動車の運転手をしていたが、ある夜に人を轢いたので、病院へ連れて行くと言って、車は助手に運転させて先に帰し、自分は怪我人を人通りの少ない場所へ連れて行って殴りつけ、その場はうまく逃げていたのだが、捕まって免許証を取り上げられていたのだった。
「ま、さ、か」と、政雄はおずおずと言った。普段ならその老人の冗談を無駄口のきっかけにしてしゃべりだすところだった。
「それが、どうも変だよ」と、老人は老婆の方を向いて、「ねえ、おばさん、尾形の様子が、少し変じゃないか」
「そうね」左側に寝て顔を向こうに向けていた老婆は、もぞりとこちらへ寝返りして政雄の顔を見上げるようにして、
「どうしたの、尾形さん、何かまたやったの」
「そ、そんなことがあるものか」
「じゃ、どうしたの、いつもの尾形さんじゃないじゃないの」
「いや、今晩は、なんとなく嫌な晩だから」と、言って政雄は四方をキョトキョト見ていたが、「おばさん、今晩は陰気でしょうがない、気の毒だが、二階へ行って、灯を点けてくれないか」
「どうしたというの、灯は点けてあげるが、おかしいじゃないの」
「別に何でもないのだ、ただ暗いのが嫌だから」
「そう、じゃ点けてあげよう」老婆は気軽に起きて、「まあまあおかしなことだ、尾形さんはどうしたというのだろう」と、言いながら障子を開けて出て行った。
「全体どうしたのだ」
老人は政雄に何か事情がありそうなので、間貸しをしている責任者としての不安を感じているらしかった。
「なに、少し気分が悪いからだよ、神経衰弱かなんかだろう」
「そうかね、警察沙汰かなんかでなければいいよ」
「そんなことがあるものか、そんなことは決してない」
「そんなことなら良いが、変だからさ、そんじゃもう寝るがいい」
「そうだ、もう寝よう」
政雄は機械仕掛けの人形のようにキョトンと立ち上がって、部屋の外へ出るなり階段を駆け上がった。二階では親切な老婆が灯りを点けたついでに寝床を整えてくれていた。
「ありがとう」
政雄はそのまま寝床の中へもぐり込んで布団を頭からかぶってしまった。
「尾形さんは、今晩どうしたのだろう」
老婆はそう言いながら下へ降りて行った。政雄は死んだ人のようになって動かなかった。政雄の頭には大きな長い舌が焼き付けられていた。政雄は運転手の免許証を取り上げられて運転手ができないので、郊外の自動車会社に助手として雇われようと思って、その街へ移って来て仕事を探しているうちに女を襲うようになっていた。
政雄はその晩既に宵の口に隣街の寂しい場所で女を襲おうとしたが、人が来たので逃げ、それから近くのカフェへ入って酒を飲みながら夜を更かし、そして、電車で帰って停車場を出たところで一人で歩いている女を見て、それを襲おうとして怪異を見たのであった。政雄は布団から頭を出すことができなかった。
大きな長い舌の女、細面のその女の顔は、袴を穿いて風呂敷包みを持った女学生か事務員のように見えていた。宵の口に襲おうとした女とつながって来た。
政雄は自分の傍にはもう宵の口から怪しいものがつきまとっていたというように思い出した。政雄は老人夫婦の傍にいる時には、怪しいものに対する恐怖と罪悪の露見に対する恐怖で混乱していたが、いつの間にか罪悪に対する恐怖は無くなって、怪しいものに対する恐怖ばかりになっていた。「大きな長い舌が政雄の頭を責め立てていた。」
政雄はそのうちに便所に行きたくなって来たが、布団の外に大きな長い舌がだらりと垂れているような気がするので、布団から顔を出すことができなかった。
政雄は朝まで我慢しようと思ってこらえながら、早く夜が明けてくれれば良いがと夜の明けるのを待っていた。そして、その苦しみのうちにうとうととしていると、貨物自動車であろう大きな響きをたてながら車が通って行った。毎朝聞きつけている青物市場に行く青物を積んだ自動車なら五時頃だった。青物の自動車が通れば朝の早い下の老人が間もなく起きることになっているので、政雄はやや人心地がつくとともに小便の苦しみでもう耐えられなくなった。
政雄は思いきって起きて階段を駆け下りた。下には電灯が点いていた。「普段はいつも点けっぱなしにしない電灯が点いているのは、老人がもう起きている証拠だと思い、政雄は心強く感じた。」
政雄は安心して、そこにある開き戸を開けました。微暗い縁側に出て、見つけた便所の戸を開けました。その時、便所の中から何かが出てきました。政雄は驚いて、その顔を見ました。それは細い顔をした女性で、大きな長い舌を出していました。政雄は一声叫んで、その場に倒れてしまいました。
政雄はそのうちに意識が戻ってきました。大きな長い舌がそこにだらりと垂れていました。政雄はまた叫んで逃げようとしました。「尾形さん、どうしたのですか」
政雄は何かにつかまえられて動けませんでした。政雄は老人夫婦の部屋で寝かされている自分を見ました。「尾形さん、どうしたのですか、私が便所から出ると、びっくりして倒れたのですが」 それは老婆の声でした。
政雄は便所から出てきた老婆の顔に怪異を見て気絶したのでした。
政雄はその日から痴呆のようになり、雑貨店の二階で寝ていましたが、十日ほどしてやっと精神が平常に戻ってきました。精神が平常に戻ると、安閑としていられませんでした。
政雄は就職先を探さなければなりませんでした。政雄はまた外に出るようになりましたが、大きな長い舌がいつも頭にあるので、日が暮れる前に帰ってきました。
政雄はそうして五、六日間就職先を探して歩きましたが、思わしいところが見つからず、小遣いもなくなったので、以前自分の助手として使っていた運転手のことを思い出して訪ねてみました。
政雄に同情を持っていたその運転手は、政雄をカフェに連れて行ってご馳走してくれました。そのために遅くなり、宿に帰ったのは夜の11時頃でしたが、それ以来、政雄は夜も出歩くようになりました。
政雄は郊外の街と市の間を往復することになった新設の乗合自動車会社へ紹介されて訪ねてみると、すぐに採用が決まりました。政雄は心のどこかに安らぎを感じ、家に帰って冷たい残り物で夕食を食べるのが嫌になったので、カフェに入って夕食を食べ、8時頃になって気持ちよく帰っていると、縁日のように両側に露店が並んで人々が出入りしている街路に出ました。
政雄はそれが面白いので、その人波の中に入り、どこへ行くともなく歩き回りました。街路の右側が空地になり、人波が淀んでいる場所がありました。そこには2、3箇所に屋台があり、それぞれ人を集めていました。政雄の目についたのはシャツを売る店でした。シャツ売りの商人は、大きな声で叫んでいました。政雄も一つシャツが欲しかったが、そこで買おうとは思いませんでした。
威勢の良いシャツ売りの方を見ていた政雄は、何かの拍子にふと自分の前を見ました。そこには小柄な女性が立っており、その両側に学生風の青年が立っていましたが、挙動が怪しかったので注意しました。二人の青年はその女性に何かの手段を用いているところでした。それを見ると政雄の好奇心が動きました。
政雄はそっと右の手を女性の帯際にやりました。と、温かな指がそれに触れました。政雄は反響があったと思い、三歩ほど右の方へ寄って待ちました。と、女性がさりげなく青年の間を抜けて寄ってきました。政雄は女性は確かに自分に気があると思いました。政雄は空地と人家の間になった狭い横街へ歩きました。
そして、振り返ってみると、女性が来る様子がないので、さてはこちらの思い違いだったのかと、軽い失望を感じながら歩きました。と、後ろから来て自分を追い越して行くものがありました。見るとそれは彼女でした。政雄は喜んで女性から少し離れて歩きました。
女性はその横街を進んで交差点に出ると、左に曲がって行きました。そこは狭くて門灯もぼつぼつしかない暗い横街でした。政雄はそこで声をかけようと思いましたが、女性が何かためらっているような様子だったので、黙ってついて行きました。
街路の左右にくぬぎの林が見えるようになりました。政雄はもう人家がなくなるだろうと思っていましたが、街路の右側に新しそうな石の鳥居に電灯が一つついているのが見えました。政雄の興奮した心が高まりました。政雄は女性にぴったり寄りました。
「静かな場所ですね」
政雄はそう言って、女に話の糸口を作ろうとした。ところが、女は鳥居の方へ一歩ずつゆっくりと進みながら振り返った。細面の女の顔には、大きな長い舌がだらりと垂れていた。政雄は驚いて叫び、逃げ出した。
政雄は発狂して街の中を走り回っているところを警官に見つかり、警察の保護を受け、精神病院の治療室へ送られた。
政雄が発狂してから数日後、菊江の両親の許可を得て初めて菊江の家を訪問した若い会社員は、自分の下宿の近くの雑貨店の二階を借りていた男が、女の怪異を見て発狂したという話をした。それを聞いた菊江は、こんにゃくの奇策を話して笑った。
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