ダゴン:DAGON:H. P. ラヴクラフト H.P.Lovecraft

現代語訳:Relax Stories TV



紹介

『ダゴン』は、1917年に執筆されたラヴクラフトの初期の作品の一つです。この物語は、超自然的な怪異に遭遇した主人公が恐怖にさいなまれるという内容です。ラヴクラフトの世界観を先鋭的に表現した作品で、後に『クトゥルフ神話』や『コズミック・ホラー』と呼ばれるようになりました。


では本編に入ります。


私はかなりのストレスを感じています。今夜にはもう、生きていないかもしれません。お金も薬もなくなりました。これ以上の苦しみには耐えられません。この屋根裏部屋の窓から身を投げようと思います。


モルヒネ中毒が原因で、体が弱り、精神も堕落したと思わないでください。この乱雑に書かれた文章を読んでいただければ、なぜ私が忘却や死を望んでいるのか、少なくとも推測はつくと思います。


船荷監督として乗船していた定期船がドイツの襲撃艇に捕らえられたのは、広い太平洋の中でも特に広大で、船の往来がほとんどない海域でした。大戦は始まったばかりで、ドイツの海軍もまだ強力でした。船は合法的な戦利品とされ、乗組員は海軍の捕虜として、適切な公正さと配慮をもって扱われました。


彼らの軍規が非常に寛大だったおかげで、拿捕されてから5日後、小さなボートに長期間持つだけの水と食料を積み、一人で逃げることができました。


ようやく自由になりましたが、どこにいるのか全く分かりませんでした。優れた航海士ではなかったので、太陽と星の位置から、赤道のやや南にいると推測するしかありませんでした。緯度については全く分からず、島や海岸線も見えませんでした。


晴れた日が続き、焼けつくような太陽の下、何日も目的もなく漂流しました。船か陸地に打ち上げられるのを待っていましたが、何も見えず、孤立している状態に絶望を感じ始めました。


状況が変わったのは、寝ている間でした。何が起きたか詳しくはわかりませんが、夢にうなされ、半眠り状態でした。目が覚めると、真っ黒な泥の中に半身が飲み込まれていました。見渡す限り、その泥は単調な起伏として広がっていました。少し離れたところに、ボートが乗り上げていました。


予想もつかない風景の変化に、最初は驚いたかもしれません。しかし、驚きよりも恐怖の方が大きかったです。周囲の空気や腐った泥に不吉な気配があり、体の芯まで凍るようでした。


周囲にはひどい悪臭が漂っており、腐った死魚や、何とも言えないものの死骸が、広がる不潔な泥の平原から突き出していました。完全な静けさの中、不毛な無限の空間に宿る言いようのない恐ろしさは、言葉だけでは伝わらないかもしれません。


何も聞こえず、一面に広がる黒い泥以外は何も見えません。それでも、周囲の静けさが完全で、風景が単調であることが心に重くのしかかり、吐き気を起こすような恐怖を覚えました。


太陽がまぶしく照りつけ、雲一つない無情な空は黒さを増していて、まるで足元の真っ黒な沼地を映し出しているかのようだった。


座礁したボートに這い込むようにして、この状況を説明する理由は一つしかないと気づいた。それは、かつてない規模で火山が隆起した結果、海底の一部が水面に浮かび上がり、何百万年も深海に隠れていた領域が現れたからだ。


足元に広がる新たな土地は広大で、どれだけ耳を澄ませても、かすかな波音さえ聞こえない。そしてまた、死骸をあさる海鳥もいない。


数時間、ボートの中で考え、思い悩んだ。ボートは側面を下にして横たわっており、太陽が空を移動するにつれて、わずかな日陰を作ってくれた。時間が経つと、地面のねばつきは少なくなった。もう少しすれば、歩いて動くのに十分なほど乾くだろうと思った。


その夜は、ほとんど眠れなかった。翌日、食料と水をまとめた。海が消え、救援の可能性を求めて、陸路を進む準備だ。


三日目の朝、地面は簡単に歩けるほど乾いていた。魚の腐臭はひどかったが、もっと重要なことに関心があったので、そんな些細なことは気にならなかった。そして未知の目標に向けて、大胆に出発した。


一日中、西へ向かってゆっくりと進んだ。遠くにある、他の場所よりも高く盛り上がっている丘を目指した。その夜は野営し、次の日も同じ丘に向かって歩いた。しかし、最初にその丘を見つけた時と比べて、全く近づいていないようだった。


四日目の夕方、丘のふもとにたどり着いた。遠くから見た時よりも丘はずっと高かった。谷があるせいで、周囲の平地と比べて丘の起伏がはっきりと分かる。登るには疲れすぎていたので、丘の陰で眠った。


なぜかは分からないが、その夜は狂気じみた夢を見た。欠け始めの幻想的な形の月が東の平原に高く昇る前に、冷たい汗をかいて目を覚まし、もう眠らないことに決めた。さっきの夢をもう一度見るのは、とても耐えられないからだ。


月の光を浴びながら、日中に歩いてきたのは馬鹿なことをしたと思った。灼熱の太陽がなければ、歩くのはもっと楽だった。実際、日没時には躊躇したが、今なら丘に登ることができそうだと感じた。荷物をまとめて、丘の頂上を目指して出発した。


起伏する平原の絶え間ない単調さからくる、言葉にできない恐怖感は以前に書いたことがある。しかし、頂上に立ち、丘の反対側に広がる深遠な峡谷を見下ろした時の恐怖は、それをはるかに超えていた。


月はまだ低く、暗い峡谷の奥まで照らし出していない。まるで自分が世界の果てに立ち、その端から、永遠に終わらない夜の、底なしの混沌を覗き込んでいるように感じました。奇妙なことに、恐怖を感じながら、『失楽園』と、形のない闇の国から現れる恐ろしい魔王の姿が、心に浮かんだ。


月が空高く昇るにつれて、谷の傾斜が思ったよりも急でないことが分かった。岩棚や露出した石が下りやすい足場になっており、数百フィートの急な下りを過ぎれば、坂は穏やかになるようだった。


不可解な衝動に駆られ、苦労しながら岩を下り、その下のゆるやかな坂に立った。そして、まだ光が当たったことのない真っ暗な底を覗き込んだ。


ふと気がついたのは、前方およそ100ヤードのところにそびえ立つ、向かいの斜面にある大きな奇妙な物体だった。それは、高度を増す月の光に照らされて、白く輝いていた。巨大な岩石であることは、すぐに分かった。しかし、その形や位置が自然の力だけによるものではないという印象を強く受けた。


さらによく見ているうちに、言葉にできない感覚を覚えた。途方もなく大きく、海底に大きな溝が開いて地球ができて間もない頃から存在していたにもかかわらず、その奇妙な物体は形を整えられたモノリスであり、その巨体は過去に、知的生物による加工を受け、そしておそらくは礼拝の対象だったに違いないと思えた。


恐怖で呆然としながらも、科学者や考古学者が感じるようなわずかなスリルを感じ、周囲をさらに詳しく調べてみた。今や月は天頂に近く、谷間を囲む高い断崖の上を妖しく明るく照らし、谷底には広い川が流れていることが分かった。


川は湾曲しており、上流も下流も見えない。そして、水は斜面に立つ私の足元まで来ていた。谷の向こうでは、巨大なモノリスの土台も波に洗われていた。


モノリスの表面には文字や粗雑な彫刻が刻まれていた。碑文は象形文字で書かれていたが、私が知らないもので、また、本で見たどんなものとも違っていた。文字の中には、魚、ウナギ、タコ、甲殻類、軟体動物、クジラなどの水棲動物を様式化していた。文字の中には、海底隆起によりできた平地で、腐敗した死骸を目にした以外は、現代の世界では知られていない、海の生物を表しているらしいものもあった。


特に目を引いたのは、彫刻の絵柄だった。巨大なサイズのおかげで、川を挟んでもはっきりと見ることができた。石の表面には浅浮き彫りの彫刻が並んでいた。そのモチーフは、画家のドレを嫉妬させるようなものだった。彫刻は人間、少なくともある種の人間を表しているようだった。ただ、その「人間」は、海底の洞窟で魚のように遊び、波の下にあると思われるモノリスの祭壇を拝んでいるように見えた。彼らの顔や姿を詳しく述べるつもりはない。思い出すだけで気が遠くなるからだ。ポーやブルワーのような作家の想像力も及ばないほど彼らはグロテスクだったが、忌々しいことに全体的な輪郭は人間によく似ていた。水かきのある手足、驚くほど大きくてたるんだ唇、ギョロッとしたガラスのような目、その他、思い出すのも気持ち悪い特徴にもかかわらずだ。奇妙なことに、「人間」とその背景の彫刻の大きさは、ひどくバランスを欠いているようだった。例えば、彼らの一人がクジラを殺している場面で、クジラは人間よりほんの少し大きいだけだ。今述べたとおり、彼らはグロテスクで異様に大きかった。しかしすぐに、それらは原始的な漁業・海洋民族が作り出した想像上の神々だと思った。ピルトダウン人やネアンデルタール人が誕生する何世代も前に絶滅した、何らかの種族によるものに違いない。最も大胆な人類学者さえ考えつかない過去の世界を思いもよらず垣間見て、畏敬の念に打たれた。考え込んで立ち尽くしていると、眼前を静かに流れる川に、月が奇妙な影を落とした。


その時、突然、私はそれを見た。水面をわずかに波立たせて浮上してきたそれは、暗い水面から出て、視界に滑り込んできた。ポリュフェモスのように忌まわしいその巨人は、悪夢に出てくる恐ろしい怪物のように、モノリスに向かって突進した。鱗の生えた巨大な腕をモノリスに巻き付けると、巨人は醜い頭を垂れて、ゆっくりと一定の声を発した。私はその時に狂ってしまったのだと思う。


半狂乱で斜面と崖を登り、座礁したボートのところに錯乱しながら戻ったが、その時のことはほとんど覚えていない。多くの歌を歌い、歌えないときは奇妙な笑い声をあげたと思う。ボートに到着して間もなく、大きな嵐があったのをぼんやりと覚えている。少なくとも、雷鳴と、自然が最も荒れ狂った時にしか発しないような轟音を耳にしたと思う。


気が付くと、サンフランシスコの病院にいた。アメリカ船の船長が、海の真ん中で私のボートを見つけ、病院まで運んでくれたのだ。錯乱しながら多くのことを話したが、ほとんど相手にされなかった。太平洋上で大地が隆起したことについて、救助してくれた人たちは何も知らなかった。それに、彼らが信じられないだろうことについて、あれこれ言っても意味がない。一度、著名な民俗学者を探し出し、魚神ダゴンに関する古代フェリシテ人の伝説について、相手に笑われるような風変わりな質問をしたことがある。しかしすぐ、彼が絶望的なまでに常識的であるのが分かり、質問をやめた。


夜、特に欠け始めた月が満月と半月になる頃、あの巨人が見える。モルヒネを試してみたが、薬物によって得られたのは一時的な安らぎだけで、私は絶望的な奴隷のように薬から離れられなくなってしまった。だからもう、全てを終わらせるつもりだ。一部始終は書き終えた。


同胞たちにとって何かの参考になるか、あるいは単に馬鹿にされ笑われるのかもしれない。よく自分自身に問いかける。あそこで見たのは、すべてではないにしろ、単なる幻だったのではないか? ドイツ軍艦から逃げ出した後、遮るもののないボートで太陽にやられ、戯言をわめきながら見た幻覚ではなかったか? こう自問すると、それに答えるように、恐ろしいイメージがいつも鮮明に浮かび上がる。


深海のことを考えようとすると、あの名前もない生き物を思い出し身震いする。まさにこの瞬間にも、ぬるぬるした海底をじたばた這い回っているかもしれない。石でできた太古の偶像を崇め、水浸しの花崗岩でできた海底のオベリスクに、やつら自身の忌まわしい姿を刻んでいるのかもしれない。やつらが波から上がり、悪臭のするカギ爪でもって、戦争で疲弊した弱々しい人類の生き残りを引きずり下ろす日が見える。陸地が沈み、全世界が地獄絵と化すなか、暗黒の海底が隆起する日が見える。


終わりは近い。ドアのところで音が聞こえる。何か、ぬめぬめした巨体がドアにぶつかっているような音だ。見つかりはすまい。神よ、あの手が! 窓に! 窓に!


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