夏目漱石:坊っちゃん・ 一~二
坊っちゃん・夏目漱石:現代版
現代語訳:Relax Stories TV
坊っちゃん・夏目漱石:現代版
現代語訳:Relax Stories TV
『坊っちゃん』の概要
夏目漱石の『坊っちゃん』は、1906年に発表された長編小説です。物語は、無鉄砲で正義感の強い主人公「坊っちゃん」が、四国の中学校で教師として奮闘する様子を描いています。坊っちゃんは、理不尽なことを許せない性格で、学校の教師たちと衝突しながらも、自分の信念を貫き通します。
登場人物
坊っちゃん: 主人公。無鉄砲で正義感が強い。
清(きよ): 坊っちゃんの家で働いている使用人。坊っちゃんを深く愛し、支える存在。
赤シャツ: 教頭。卑怯者で、坊っちゃんと対立する。
山嵐: 数学の教師。初めは坊っちゃんと敵対していたが、後に仲良くなる。
うらなり: 内気で気が弱い性格。婚約者のマドンナを赤シャツに奪われる。
マドンナ: うらなりの婚約者だったが、赤シャツと交際するようになる。
人生に役立つ教訓
『坊っちゃん』から得られる教訓は以下の通りです:
正義を貫く勇気: 坊っちゃんは、理不尽なことに対して立ち向かい、自分の信念を貫き通します。これは、どんな困難な状況でも正義を守る勇気を持つことの重要性を教えてくれます。
誠実さと真っ直ぐな心: 坊っちゃんの無鉄砲な性格は、時にトラブルを引き起こしますが、その誠実さと真っ直ぐな心は周囲の人々に影響を与えます。誠実であることの大切さを学ぶことができます。
愛と支えの力: 坊っちゃんと清の関係は、血の繋がりを超えた深い愛と支えの力を示しています。困難な時に支えてくれる存在の重要性を感じることができます。
『
坊っちゃん』は、ユーモアと痛快さを交えながらも、深い教訓を含んだ作品です。ぜひ読んでみてください!
一、
親から受け継いだ無謀さで、子供の頃からトラブルばかり起こしている。小学生の時、学校の二階から飛び降りて、一週間ほど腰を痛めたことがある。なぜそんな無謀なことをしたのか、人々は疑問に思うかもしれない。特別な理由はない。新築の二階から顔を出していたら、クラスメイトの一人が冗談で、「どんなに自慢しても、そこから飛び降りることはできないだろう。弱虫だね」とからかったからだ。家政婦に支えられて帰ってきた時、父は驚いて、「二階から飛び降りて腰を痛めるなんて、誰がそんなことをするんだ」と言った。それに対して、「次は痛めずに飛んでみせます」と答えた。
親戚からもらった西洋製のナイフを、日光に反射させて友達に見せていたら、一人が「光ることは光るけど、切れそうにないね」と言った。切れないわけがない、何でも切ってみせると挑んだ。そこで、「じゃあ、君の指を切ってみて」と頼まれたので、「何だ、指ぐらい、見てろ」と言って、右手の親指の甲を切り込んだ。幸いにもナイフが小さく、親指の骨が硬かったので、今でも親指は元の場所にある。しかし、傷跡は一生消えないだろう。
庭を東に20歩進むと、南向きの小さな菜園があり、真ん中に栗の木が一本立っている。これは命よりも大切な栗の木だ。実が熟す時期には、朝早くに裏門から出て、落ちた栗を拾ってきて、学校で食べる。菜園の西側は、山城屋という質屋の庭が続いていて、この質屋には勘太郎という13、4歳の息子がいた。勘太郎はもちろん弱虫だ。弱虫なのに、垣根を乗り越えて、栗を盗みに来る。ある日の夕方、折り戸の陰に隠れて、とうとう勘太郎を捕まえた。その時、勘太郎は逃げ道を失って、必死に飛びかかってきた。向こうは2つほど年上だ。弱虫だが力は強い。頭を突き出して、こっちの胸に押し付けてきた瞬間に、勘太郎の頭が滑って、私の袖の中に入ってしまった。邪魔で手が使えなくなったので、手を振り回したら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左に揺れ動いた。最後に苦しそうに袖の中から、私の二の腕に噛み付いた。痛かったので、勘太郎を垣根に押し付けて、足掛けをかけて倒した。山城屋の地面は菜園よりも6尺低い。勘太郎は垣根を半分壊して、自分の領地に真っ逆さまに落ちて、「うー」と言った。勘太郎が落ちる時に、私の袖がもげて、急に手が自由になった。その晩、母が山城屋に謝りに行ったついでに、袖も取り返してきた。
他にもいたずらはたくさんやった。大工の兼公と魚屋の角を連れて、茂作の人参畑を荒らしたことがある。人参の芽がまだ出揃わない場所には、藁が一面に敷かれていたので、その上で3人で半日相撲を取り続けたら、人参はみんな踏みつぶされてしまった。古川の田んぼの井戸を埋めて、尻を持ち込まれたこともある。太い竹の節を抜いて、深く埋めた中から水が湧き出て、周りの稲に水がかかる仕掛けだった。その時はどんな仕掛けか知らなかったので、石や棒の切れ端を井戸の中に詰め込んで、水が出なくなったのを確認してから、家に帰ってご飯を食べていたら、古川が真っ赤になって怒鳴り込んできた。確か罰金を払って済ませたようだ。
父は全く僕を可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔屓にしていた。この兄は肌が白くて、演劇の真似をして女役になるのが好きだった。
僕を見る度に「こいつはどうせろくなものにはならない」と、父が言った。乱暴で乱暴で行く先が心配だと母が言った。なるほどろくなものにはならない。ご覧の通りの結果だ。行く先が心配だったのも無理はない。ただ刑務所に行かないで生きているだけだ。
母が病気で死ぬ数日前、台所でバク転をしてへつつの角で肋骨を打って大いに痛かった。母が大いに怒って、「あなたのようなものの顔は見たくない」と言うから、親戚へ泊まりに行っていた。するととうとう死んだという知らせが来た。そんなに早く死ぬとは思わなかった。そんなに重い病気なら、もう少し大人しくすればよかったと思って帰ってきた。そうしたら例の兄が僕を親不孝だ、僕のせいで、母さんが早く死んだんだと言った。悔しかったから、兄の頬を張って大いに叱られた。
母が死んでからは、父と兄と三人で暮らしていた。父は何もしない男で、人の顔さえ見れば「お前はだめだ、だめだ」と口癖のように言っていた。何がだめなのか今になっても分からない。不思議な父だった。兄は実業家になると言ってしきりに英語を勉強していた。元々女性的な性格で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一回ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋を指したら卑怯な待ち駒をして、人が困ると嬉しそうにからかった。あまりにも腹が立ったから、手にあった飛車を眉間に投げつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄が父に言いつけた。父が僕を勘当すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の言う通り勘当されるつもりでいたら、十年来雇っている清という家政婦が、泣きながら父に謝って、ようやく父の怒りが解けた。それにもかかわらずあまり父を怖いとは思わなかった。むしろこの清という家政婦に気の毒であった。この家政婦は元々由緒ある家のものだったそうだが、家が崩壊した時に貧しくなって、ついには家政婦までやるようになったのだと聞いている。だからおばあさんである。このおばあさんがどういう因縁か、僕を非常に可愛がってくれた。不思議なものだ。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――父も年中持て余している――街内では乱暴者の悪太郎とからかわれる――この僕を無暗に珍重してくれた。
僕は到底人に好かれる性格でないと諦めていたから、他人から端材のように扱われるのは何とも思わない、むしろこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に思った。清は時々台所で人のいない時に「あなたは真っ直ぐでいい性格だ」と褒めることが時々あった。しかし僕には清の言う意味が分からなかった。いい性格なら清以外の人も、もう少しよくしてくれるだろうと思った。清がこんなことを言う度に僕はお世辞は嫌いだと答えるのが常だった。するとおばあさんはそれだからいい性格なんですと言っては、嬉しそうに僕の顔を見つめている。自分の力で僕を作り上げて誇っているように見える。少々気味が悪かった。
母が亡くなってから、清はますます僕を可愛がった。時々、子供心になぜあんなに可愛がるのかと不思議に思った。つまらない、放っておけばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。
時々は自分のお小遣いで金鍔や紅梅焼きを買ってくれる。寒い夜などはこっそりと蕎麦粉を仕入れておいて、寝ている僕の枕元に蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼きうどんさえ買ってくれた。ただ食べ物ばかりではない。靴下ももらった。鉛筆ももらった、ノートももらった。
これはずっと後のことだが、金を三円ばかり貸してくれたことさえある。何も貸せと言ったわけではない。向こうから部屋に持って来て、「お小遣いがなくて困っているでしょう、使ってください」と言ってくれたんだ。僕はもちろん断ったが、是非使ってと言うから、借りておいた。実はとても嬉しかった。
その三円を財布に入れて、ポケットに入れたままトイレに行ったら、うっかりと便器の中に落としてしまった。仕方がないから、出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清はすぐに竹の棒を探しに行って、「取って上げます」と言った。しばらくすると水道の蛇口でざあざあ音がするから、出てみたら竹の先に財布の紐を引っ掛けたのを水で洗っていた。
それから口を開けて一円札を見たら茶色になって模様が消えかかっていた。清はストーブで乾かして、「これでいいでしょう」と出した。ちょっと嗅いでみて臭いと言ったら、「それなら返してください、取り替えて来てあげますから」と、どこでどうごまかしたか札の代わりに硬貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと言ったきり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれる時には必ず父も兄もいない時に限る。僕は何が嫌いだと言って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。
兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清からお菓子や色鉛筆をもらいたくはない。なぜ、僕一人にくれて、兄にはやらないのかと清に聞く事がある。すると清は澄ましたもので兄は父が買ってあげるから大丈夫と言う。これは不公平である。父は頑固だけれども、そんな贔屓はしない男だ。しかし清の目から見るとそう見えるのだろう。
全く愛に溺れていたに違いない。元は身分のあるものでも教育のないおばあさんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔屓目は恐ろしいものだ。清は僕をもって将来成功して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人で決めてしまった。
こんなおばあさんに会っては叶わない。自分の好きなものは必ず偉い人物になって、嫌いな人はきっと落ちぶれるものと信じている。僕はその時から別段何になると言う了見もなかった。しかし清がなるなると言うものだから、やっぱり何かになれるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿しい。
ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ車に乗って、立派な玄関のある家を建てるに違いないと言った。
それから清は僕が家を持って独立したら、一緒になる気でいた。どうか置いて下さいと何度も繰り返して頼んだ。僕も何だか家が持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭にブランコを設置して遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を一人で並べていた。
その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建築も全く不要だったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲が少なくて、心が綺麗だと言ってまた褒めた。清は何と言っても褒めてくれる。
母が亡くなってから5、6年の間はこの状態で暮らしていた。
父には叱られる。兄とは喧嘩をする。清にはお菓子をもらう、時々褒められる。別に望みもない。これで十分だと思っていた。他の子供も一概にこんなものだろうと思っていた。
ただ清が何かにつけて、「あなたはお可哀想だ、不幸だ」と無闇に言うものだから、それじゃ可哀想で不幸なんだろうと思った。その他に苦になることは少しもなかった。ただ父がお小遣いをくれないのは困った。
母が死んでから6年目の正月に父も脳卒中で亡くなった。その年の4月に僕はある私立の中学校を卒業する。6月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならない。僕は東京でまだ学問をしなければならない。
兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると言い出した。僕はどうでもいいと返事をした。どうせ兄の面倒になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向こうでも何とか言い出すに決まっている。半端な保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食べていけると覚悟をした。
兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々のガラクタを二束三文に売った。家屋敷はある人の仲介である金持ちに譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らない。僕は一ヶ月前から、しばらく前途の方向が決まるまで神田の小川町へ下宿していた。
清は十何年も居た家が他人の手に渡るのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕方がなかった。「あなたがもう少し年をとっていれば、ここが相続できますものを」としきりに口説いていた。もう少し年をとって相続できるものなら、今でも相続できるはずだ。おばあさんは何も知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
兄と僕はこうして別れたが、困ったのは清の行く先である。
兄はもちろん連れて行ける身分ではなく、清も兄の後を追って九州まで出かける気は全くない、と言ってこの時の僕は四畳半の安下宿に籠って、それすらもいざとなれば直ちに引き払わなければならない状況だ。どうすることもできない。
清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと聞いたらあなたが家を持って、奥さんをもらうまでは、仕方がないから、甥の面倒を見ましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には困らないくらい暮らしていたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとえ下女奉公をしても年来住み慣れた家の方がいいと言って応じなかった。しかし今の状況では知らない家に奉公に行くより、甥の面倒を見る方がましだと思ったのだろう。
それにしても早く家を持ての、妻をもらえの、来て世話をするのと言う。親身の甥よりも他人の僕の方が好きなのだろう。
九州へ出発する二日前、兄が下宿に来て金を六百円出してこれを資本にして商売をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも自由に使うがいい、その代わりあとは構わないと言った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらいもらわなくても困らないと思ったが、例によらぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を言ってもらっておいた。
兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと言ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の駅で別れたきり、兄にはその後一度も会わない。
僕は六百円の使い道について寝ながら考えた。
商売をしたって面倒くさくてうまくできるものじゃない、それに六百円の金で商売らしい商売ができるわけでもないだろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前で教育を受けたと自慢できないから結局損になるばかりだ。
資本などはどうでもいいから、これを学費にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強ができる。三年間一生懸命にやれば何かできる。
それからどこの学校に入ろうかと考えたが、学問は生来どれもこれも好きでない。特に語学や文学などというものはまっぴらだ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分からない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じことだと思ったが、幸い物理学校の前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無謀さから起こった失策だ。
三年間まあ人並みに勉強はしたが別段優れた方でもないから、席順はいつでも下から数える方が便利だった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でもおかしいと思ったが苦情を言うわけもないから大人しく卒業しておいた。
卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が必要だ。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。僕は三年間学問はしたが実を言うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようという目標もなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即座に返事をした。これも親譲りの無謀さが祟ったのだ。
引き受けた以上は赴任しなければならない。この三年間は四畳半に引きこもって、誰からも小言を言われることは一度もなかった。喧嘩もしなかった。僕の人生の中では比較的気楽な時期だった。しかし、こうなると四畳半も引き払わなければならない。生まれてから東京以外に出たのは、同級生と一緒に鎌倉へ遠足に行った時だけだ。今度は鎌倉どころではない。とても遠いところへ行かなければならない。地図で見ると海岸で針の先ほど小さく見える。どうせろくなところではないだろう。どんな町で、どんな人が住んでいるのか分からない。分からなくても困らない。心配にはならない。ただ行くだけだ。ただし、少々面倒くさい。 家を片付けてからも清のところへは時々行った。清の甥というのは意外とまともな人だった。僕が行くたびに、いるだけで、何でも歓待してくれた。清は僕を前に置いて、いろいろと僕の自慢を甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺りに家を買って役所へ通うのだなどと吹聴したこともある。一人で決めて一人でしゃべるから、こっちは困って顔を赤くした。それも一度や二度ではない。時々僕が小さい時におねしょをしたことまで持ち出すとは閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分からない。ただ清は昔風の女だから、自分と僕の関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に違いないと思っていたようだ。甥こそいい顔の皮だ。
いよいよ約束が決まって、もう出発するという三日前に清を訪ねたら、北向きの三畳の部屋で風邪を引いて寝ていた。
僕が来たのを見てすぐに起き上がり、「坊っちゃん、いつ家を持つんですか」と聞いた。卒業さえすればお金が自然とポケットの中に湧いてくると思っている。そんなに偉い人を前にして、まだ坊っちゃんと呼ぶのは本当に馬鹿げている。
僕は単純に当分は家を持たない。田舎へ行くんだと言ったら、非常に失望した様子で、胡麻塩の髪の乱れをしきりに撫でた。あまり気の毒だから「行くことは行くがすぐに帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めてやった。それでも変な顔をしているから「何を見て喜ぶか買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後の笹飴が食べたい」と言った。越後の笹飴なんて聞いたこともない。第一方角が違う。「僕の行く田舎には笹飴はなさそうだ」と言って聞かせたら「そんなら、どっちの方角ですか」と聞き返した。「西の方だよ」と言うと「箱根は先ですか手前ですか」と問う。随分困った。
出発の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中で雑貨屋で買ってきた歯ブラシと綿棒とハンカチをリュックの革鞄に入れてくれた。そんなものは入らないと言ってもなかなか納得しない。
車を並べて駅に着いて、プラットフォームの上に出た時、車に乗り込んだ僕の顔をじっと見て「もうお別れになるかもしれません。随分ご機嫌よう」と小さな声で言った。目に涙がいっぱいたまっている。僕は泣かなかった。しかしもう少しで泣くところだった。電車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だかとても小さく見えた。
二、
「ぶう」と汽船が停まると、艀が岸を離れ、こちらに向かってきた。船頭は真っ裸に赤いふんどしを締めている。野蛮な所だが、この暑さでは服を着ることもできないだろう。日が照りつけ、水面が眩しく光る。じっと見つめていると、目がくらむ。事務員に聞いてみると、ここで降りることになっていると言われた。見る限り、大森ほどの漁村のようだ。人を馬鹿にしている、こんな所に我慢できるものかと思ったが、仕方がない。僕は元気よく一番に飛び込んだ。続いて五六人が乗っただろう。大きな荷物を四つばかり積み込んだ赤いふんどしの船頭は、岸へ漕ぎ戻ってきた。
陸に着いた時も、いの一番に飛び上がり、いきなり磯に立っていた鼻たれ小僧をつかまえて、中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、「知らんがな」と言った。気が利かない田舎者だ。猫の額ほどの街内に、中学校の場所も知らない奴がいるものか。しかし、妙な筒状の服を着た男が来て、こっちへ来いと言うから、ついて行ったら、港屋という宿屋へ連れて来た。嫌な女が声を揃えて「お上がりなさい」と言うので、上がるのが嫌になった。門口に立ったまま中学校を教えろと言ったら、中学校はこれから電車で二里ばかり行かなくちゃいけないと聞いて、なおさら上がるのが嫌になった。僕は、筒状の服を着た男から、革鞄を二つ引き取って、そのまま歩き出した。宿屋の者は変な顔をしていた。
駅はすぐに分かった。切符もすんなり買った。乗り込んでみると、マッチ箱のような電車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三十円だ。それからタクシーを雇って、中学校へ来たら、もう放課後で誰もいない。宿直はちょっと用事で出ていたと用務員が教えた。随分気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋ねようかと思ったが、疲れ果てていたから、タクシーに乗って宿屋へ連れて行けと運転手に言い付けた。運転手は元気よく山城屋という宿屋へ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋号と同じだから、ちょっと面白く思った。
何だか二階の楷子段のはしごの下の暗い部屋へ案内された。熱くて居られやしない。こんな部屋はいやだと言ったら、「あいにくみんな塞がっておりますから」と言いながら、革鞄を抛り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中に入って、汗をかいて我慢していた。やがて湯に入れと言うから、ざぶりと飛び込んで、すぐに上がった。帰りがけに覗いてみると、涼しそうな部屋がたくさん空いている。失礼な奴だ。嘘をつきやがった。それから下女が膳を持って来た。部屋は熱かったが、飯は下宿のよりも大分旨かった。
給仕をしながら下女が「どちらからおいでになりましたか」と聞くから、東京から来たと答えた。すると下女は「東京はよい所でございましょう」と言ったから、当たり前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へ行った時分、大きな笑い声が聞こえた。くだらないから、すぐ寝たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒がしい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら、清きの夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと言うと、「いえ、この笹がお薬でございます」と言って、旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら、眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変わらず空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら茶代を払うものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末に取り扱われると聞いていた。こんな狭くて暗い部屋へ押し込められるのも、茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装をして、ズックの革鞄と毛繻子の蝙蝠傘を提げているからだろう。田舎者の癖に人を見下したな。一番茶代をやって驚かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほど残っている。みんなやったって、これからは月給を貰うんだから構わない。
田舎者はしみったれだから五円もやれば驚いて眼を廻すに極まっている。どうするか見ろと済まして顔を洗って、部屋へ帰って待っていると、夕べの下女が膳を持って来た。盆を持って給仕をしながら、にやにや笑っている。失礼な奴だ。顔の中をお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面つらよりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪に障ったから、中途で五円札を一枚まい出して、あとでこれを帳場へ持って行けと言ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済まして、すぐに学校へ出かけた。靴は磨いてなかった。
学校は昨日、車で乗りつけたから、大体の見当はついている。四つ角を二、三度曲がったら、すぐに門の前へ出た。門から玄関までは石で敷き詰められている。昨日、この敷石の上を車でがらがらと通った時は、無闇に大きな音が響いて、少し驚いた。途中から制服を着た生徒にたくさん会ったが、みんなこの門を入って行く。中には、僕より背が高くて強そうな奴もいる。あんな奴を教えるのかと思ったら、何だか気味が悪くなった。名刺を出すと、校長室へ通された。校長は薄い髭を生やし、肌の色が黒く、大きな目を持つ狸のような男だ。やたらと大げさだった。まあ、頑張って勉強してくれと言って、恭しく大きな印を押した辞令を渡された。この辞令は、東京へ帰るときに丸めて海の中へ投げ込んでしまった。校長は「今に職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだ」と言って聞かせた。余計な手間だ。そんな面倒なことをするより、この辞令を三日間職員室に掲示しておく方がましだ。
教員が休憩室に集まるには、一時間目のチャイムが鳴らなくてはならない。まだ大分時間がある。校長は時計を取り出して見て、追々ゆっくりと話すつもりだが、まず大体のことを理解しておいてもらおうと言って、それから教育の精神について長いお話を聞かせた。僕は無論適当に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の言うことは到底実行できそうにない。僕のような無謀な者を前にして、生徒の模範になれ、一校の師aC範として尊敬されなくてはいけない、学問以外に個人の道徳を広めなくては教育者になれない、と無闇に法外な注文をする。
そんな偉い人が月給四十円で、わざわざこんな田舎に来るとは思えない。人間は大概似たようなものだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだろうと思っていたが、この様子じゃめったに口も聞けないし、散歩もできない。そんな難しい役なら、雇う前にこれこれだと話すがいい。僕は嘘をつくのが嫌いだから、仕方がない、騙されて来たのだと諦めて、思い切ってここで断って帰ろうと決心した。宿屋へ五千円やったから、財布の中には九千円しかない。
九千円じゃ東京までは帰れない。チップなんかやらなければよかった。惜しいことをした。しかし、九千円だって、どうにかならないことはない。旅費は足りなくても、嘘をつくよりましだと思って、「到底あなたのおっしゃる通りにはできません。この辞令は返します」と言ったら、校長は狸のような目をぱちつかせて僕の顔を見ていた。やがて、「今のはただの希望だ。あなたが希望通りできないのはよく知っているから、心配しなくてもいい」と笑った。そのくらいよく知っているなら、始めから威嚇しなければいいのに。
そう、こうする内にアラームが鳴った。教室の方が急に騒がしくなる。もう教員も休憩室へ揃ったのだろうか。校長について教員休憩室に入ると、広い細長い部屋の周囲に机が並べられ、みんな腰をかけていた。僕が入ったのを見て、みんな申し合わせたように僕の顔を見た。まるで見世物のようだ。それから指示された通り、一人一人の前へ行って辞令を出し、挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかがめるばかりだったが、中には差し出した辞令を確認し、丁寧に返す者もいた。まるで宮廷劇の真似だ。
十五人目に体育の教師へと回って来た時、同じ事を何度も繰り返すので少々じれったくなった。向こうは一度で済むのに、こっちは同じ所作を十五回も繰り返している。少しは人の気持ちも察してみるがいい。
挨拶をした中に教頭のなにがしという人がいた。これは文学士だそうだ。文学士と言えば大学の卒業生だから、偉い人なんだろう。妙に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのは、この暑いのにフランネルのシャツを着ていることだ。いくら薄い生地でも、暑いに決まっている。文学士だけに大変な服装をしているものだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。後から聞いたら、この男は年が年中赤シャツを着るのだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生のためにわざわざオーダーメイドするのだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物もズボンも赤にすればいい。それから英語の教師に古賀という、大変顔色の悪い男がいた。大概顔の青い人はやせているものだが、この男は青くふくれている。昔、小学校へ行く時分、浅井の民さんという子が同級生にいたが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は農家だから、農家になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりのナスばかり食べるから、青くふくれるんですと教えてくれた。それ以来、青くふくれた人を見れば必ずうらなりのナスを食った報いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食っているに違いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方、清も知らないのだろう。
それから僕と同じ数学の教師に堀田という人がいた。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と言うべき面構えである。人が丁寧に辞令を見せたら、見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来てくれアハハハと言った。何がアハハハだ、と思った。そんな礼儀を知らない奴の所へ誰が遊びに行くものか。僕はこの時からこの坊主に山嵐というあだ名をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れだろう、それでももう授業をお始めで、大分ご励精で、とのべつに弁じたのは愛嬌のあるお爺さんだ。美術の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、扇子をぱちぱちと鳴らしながら、お国はどちらでげす? え? 東京? そりゃ嬉しい、お仲間が出来て……私もこれで江戸っ子ですと言った。こんなのが江戸っ子なら、江戸には生まれたくないもんだと心中で思った。その他、一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
挨拶が一通り済んだ後、校長が「今日はもう引き取ってもいい。もっとも授業に関することは数学の主任と打ち合わせをしておいて、明後日から授業を始めてくれ」と言った。数学の主任は誰かと聞いてみたら、まさに例の山嵐だった。気に入らない。こいつの下で働くのかと失望した。山嵐は「おい君、どこに宿泊しているのか、山城屋か。今から行って相談する」と言い残して、ホワイトボードマーカーを持って教室へ出て行った。主任のくせに向こうから来て相談するなんて、無神経な男だ。しかし、呼びつけるよりは感心だ。
学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったところで仕方がないから、少し街を散歩してやろうと思い、無目的に足の向く方を歩き回った。県庁も見た。古い前世紀の建築だ。兵舎も見た。麻布の連隊より立派でない。大通りも見た。神楽坂を半分に狭くしたぐらいの道幅で、街並みはそれより劣っている。二十五万石の城下だって、高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張っている人間は、可哀想なものだと考えながら歩いていると、いつの間にか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大体は見尽くしたのだろう。帰ってご飯でも食べようと門口を入った。フロントに座っていた女性が、僕の顔を見ると急に飛び出してきて「お帰り……」とロビーへ頭を下げた。靴を脱いで上がると、「お部屋が空きましたから」とメイドが二階へ案内した。十五畳の表二階で、広々とした床とこの間取りが魅力的だ。僕は生まれてからまだこんな立派な部屋に入ったことはない。これからいつこのような部屋に入れるか分からないから、スーツを脱いで浴衣一枚になって部屋の真ん中に大の字に寝てみた。いい感じだ。
昼食を済ませると、早速清に手紙を書くことにした。僕は文章が下手で字を知らないから手紙を書くのが大嫌いだ。またやる場所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死んじゃうかなどと思われては困るから、奮発して長い手紙を書いてやった。その文句はこうである。
「昨日着いた。つまらない所だ。十五畳の部屋に寝ている。宿屋へチップを五千円やった。女将さんが頭を床にすりつけた。昨晩は寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食べる夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだ名をつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、美術はのだいこ。これからいろいろな事を書いてやる。さようなら。」
手紙を書き終えたら、いい気分になって眠気がさしたから、最初のように部屋の真ん中で大の字に寝た。今度は夢も何も見ずにぐっすり寝た。この部屋かいという声が聞こえたので目が覚めたら、山嵐が入って来た。最初は失礼、君の担当は……と話し始めたので大いに驚いた。担当を聞いてみると、別段難しい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は無理、明日から始めてくれと言っても驚かない。授業上の打ち合わせが済んだら、君はいつまでこんな宿屋にいるつもりでもあるまい、僕がいい下宿を紹介してやるから移りたまえ。外の者では承知しないが、僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、明日移って、明後日から学校へ行けばいいと一人で決めている。なるほど、十五畳敷にいつまでいる訳にも行くまい。月給をみんな宿料に払っても足りないかもしれない。五千円のチップを奮発してすぐ移るのはちょっと残念だが、どうせ移る者なら、早く引っ越して落ち着く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼む事にした。
すると、山嵐はともかくも一緒に来てみろと言うから、行った。街はずれの丘の中腹にある家で、至極静かだ。主人は骨董を売買するいか銀という男で、奥さんは亭主よりも四つばかり年上の女だ。中学校にいた時ウィッチという言葉を習った事があるが、この奥さんはまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の奥さんだから構わない。とうとう明日から引っ越す事にした。帰りに山嵐は通りでアイスウォーターを一杯奢った。学校で会った時はやけに横柄な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、悪い男でもなさそうだ。ただ僕と同じようにせっかちで気性が激しい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。
三に続く
𝑅𝑒𝓁𝒶𝓍 𝒮𝓉𝑜𝓇𝒾𝑒𝓈𝒯𝒱
14,343文字
コメント
コメントを投稿
現代語訳小説についてのご意見や質問、大歓迎です